2014年08月14日

女性の力

 人を養えなければ人に非ず。私達はお客様で、丁重にもてなしてもらわなければならない。あなたはしっかり働いて、私(ここが国家と言われるところが戦前とは変わってしまった)を支えよ。このような態度は、フェミニズムの行き過ぎによるものなのだろうか。それとも、アメリカ的な利益追求主義がこのようにさせるのか。その部分を考えてみたい。
 日本での自殺は男性の方が多いが、これは世間が、「男性は強い。敢えて周りが支える必要がなく、自分で勝手に仕事してくれるだろう。」という認識でいるためだ。自殺する人としては、経済的な問題で死ぬ人が多いが、この経済的な問題は従来の、一人で、一手に仕事を引き受けるスタイルから、一人一人の仕事量を減らし、給料を減らし、女性が労働市場に多く入り込むことによって解決が図られることとなるだろう。このことによって、自殺する人の男女比は五分五分となり、男性が特別に不幸になる、という状況が改善されることになるだろう。
 また、あまりここで自殺率の男女平等を唱えてもしかたないので、政治家・経営者の中での女性の比率の向上も達成されなければならないことも述べておきたい。今、女性の社会進出が進んでおり、女性が自分の利益を追求するのも、アメリカの個人主義と日本の教育によるところが大きいと思われるが(そもそもアメリカ的な個を重視する教育は終わり、これからは公を重視するような教育に変わってきているところではあるが)、これも、女性がリーダーシップをとることを期待されてのことだということを女性は自覚すべきである。また、女性が仕事をしていくことで、社会の活力となり、男女に限らず、人と人との相互理解が深まるのではないかと思う(ところで女性の特質といえば、偏狭で警戒心が強いことがあげられるが、これは女性が子供を育てるために必要な能力であり、女性をその内面から取り上げたときによく言われることである。女性には、外面的には、人当たりがよく、リスクを避け、安定をもたらすという能力をもっている。このことはサービス業で強い力を発揮する)。
 また、男女平等というのは、単なる欧米向けの政治的なパフォーマンスであり、現実を的確に表わしているという類の言説ではないことを付け加えておきたい。男性の地位を強制的に、相対的に下げることによって成し遂げられる男女平等は、軋轢を生み出すだけであり、相互不信を深めることとなる。これは個人主義の行き着く悪い面であり、常に相争い、道徳心の欠如した人が陥ってしまう悪事である。つまり、人間の低次面に落ちてしまうことを意味する。日本人は互いを思いやり、助けあうことが得意であるはずだが、無遠慮な言説がまかり通ることによって、不信感が増幅し、本来の良さをいつまでも発揮できないままになっているのである。
 今、女性の力はすごい。男性の方が自殺率が高いということは、女性の社会的地位が上がり、男性の社会的地位は下っているということなのだと思う。男性よりも優秀で、お金を稼ぐ女性も大勢いる。この調子で、日本の経済を引っ張っていってほしいと思う。日本の人口の半分が女性で、半分が男性だ。お互いに社会における役割を分担する(その、分担する、ということについても従来的な分担ではなく、経済的な得意分野・不得意分野という意味での分担である)方向に社会が動いていけば、今後の日本はもっとよいものになると思う。
posted by シンジ at 21:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月04日

ロシアとの関係改善はいかになされるべきか

 今秋、プーチン氏の来日が予定されている。安倍さんの、北方領土問題を解決したいという意欲を表明した矢先で、ウクライナ危機が起こり、アメリカとロシアの関係に溝がいっそう深まった中で、会談は本当に実現するか、非常に気になるところである。ロシアとしては日本の経済制裁の解除及び経済協力を求めてくると思われるが、ロシアとの経済協力にうまみはなく、日本としては北方領土返還を求めてゆきたい。アメリカには、この会談について、北方領土は終戦時にロシアが侵略して奪った土地であり、返還されてしかるべきだと言えばよい。もちろん、安倍さんがこのような主張をしていくためには、国民の後押しが必要であり、北方領土を日本の土地であるとはっきり認識する世論も必要だ。
 プーチン氏はナショナリストとしての安倍氏を評価しているようだが、ロシアの領土拡張主義に対して今後も反対する姿勢を表明していただきたい。また、暴走する中国の歯止め役として一定の役割を負うべきであるとして迫っていくべきだ。マレーシア航空機撃墜事件にもあったように、人命を軽んじるような点があったことも批難すべきである。ロシアとしてはこの事件を曖昧にしたいようだが、この点においてはアメリカと歩調を合わせてもいいと思う。以上のように、日本としてはやましい点は何一つないので、ロシアに然るべき行動を取ってもらうように促すべきだ。
 このように、本当の関係改善は両者のしこりを取り去って初めて実現するものであり、一方の主張が通るだけで終ってはならない。
posted by シンジ at 11:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月30日

人間は消耗する

 何か勝負をして勝ちたいならば、人間が消耗することを考慮に入れておく必要があるかもしれない。日本代表はW杯の直前に強化合宿を行い、体力の向上に励んだが、その成績は振るわなかった。また、田中投手は日本での投球数の多さを指摘されている。人間が消耗するということを度外視すれば、結果を損なう可能性がある。
 前者においては、トレーニングそのものが直接の原因になっているかどうかははっきりしない。選手も自覚なしに監督の指示に従ったかもしれない。そもそもザッケローニ監督がどれだけの裁量を与えられていたのかもわからないところである。
 後者については、日本では田中投手は故障はしていなかった、という反論もできるかもしれない。アメリカでの力まかせの投球になっていなかったか、トレーナーに責任はなかったか。日本の側から言うと、多少無理をしてでも投げ切ることができれば、それはよい結果をもたらすと受け止められる。一方で、アメリカの野球専門のシンクタンクからすると、投球数の増加は体に負担になるとしている。
 このようなスポーツの場面において、短い期間でよい成績を残すならば、日本のやり方のほうが優れているといえるだろうし、長い期間でよい成績を残すならばアメリカのほうが良いといえるだろう。
 アメリカからのこのような報道に対して、反応の仕方はいくつかあると思う。後者の例において、アメリカの言う通り、投手の投球数に制限をかけ、選手を休ませる必要があることに同意する立場と、反対に、休むということは、その選手の勢いを削ぐことにつながりかねないと、選手にできる限り投げさせる立場、それから、両者の意見を組み合わせた案を立てるべきだという立場である。このようなときに、もし、アメリカのやり方が十分に科学的な実証を経ているのであれば、それを事実として受け止める必要があると思う。
 ところで、野球の場合は、個々のプレーが、個々の選手に帰属しやすく、それでいて選手の評価も数値化しやすいスポーツだと思う。しかし、サッカーの場合は個々のプレーに対して、複雑に絡み合って行われるために、素人にとってはどういう評価を下せばいいのかわからないと思う。各選手の試合中の走行距離、動きなどはデータ化されており、そのような成績のことをスタッツという。例えばドイツは、そのようなデータの中でも、選手のボールの保持時間を一つの指標に挙げていた。 
 サッカーと野球の両方が強い国というのはめったにない。共に世界的に高い評価を得ることができれば、これは素晴らしいことだ。
posted by シンジ at 09:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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