2014年08月27日

反米日本のあり方

 アメリカの社会は冷酷な個人主義に基づくものであり、永く続くものではない。アメリカは常に争い、奪うという不道徳の精神に基づいた国である。現在の日本においても、米軍駐留問題や、TPPの問題は、戦争に勝った側が負けた側に何でも要求できるというアメリカ側の誤った考えに基づくものであり、さらに、太平洋戦争に勝ったといって日本側の大東亜戦争の大義名分を誤魔化し、誤った歴史観を自身の行動の根拠としているにすぎない。そもそもアメリカには戦争する大義名分などなく、人を多く殺すことしか考えない人命軽視の思想に基づいて行動しているだけである。これはまさに、国全体で、西欧の科学第一主義的な、後先考えない実験学の世界に没頭しているのだとも言うことができる。このような横暴に対して、日本は、はっきりとNOをつきつけるべきである。
 また、近年において、ますます英語教育の低年齢化が進み、まるで英語がないと生きて行けないかのようである。一番語学を学ぶのに適した時期であるにも関わらず、中途半端に外国語を学び、その結果漢字すら書けない、読めないといった有り様であったならば、これは目も当てられない状況である。日本には古くから美徳とされていた素晴らしい道徳があるのに、それをないがしろにして、子供を放置し、その精神の涵養に努めないのは、悲しく、本当にもったいない。そして、よく英語はかっこよくて、日本語はださい、ということを言う人がいるが、その人は日本語の真の美しさ、美意識を知らず、触れたこともない人であり、日本語のもつ表現の奥深さの凝縮されている、古くからある和歌を読んでみるといいと思う。
 さて、ここにおいて、反米日本とは何かということを考える前に、まず、日本は敗戦をすんなりと受け入れたのかどうか、ということを考えてみたい。これについては諸説あるが、ここで一つ挙げたいのは、戦時中において、ほとんどの日本人はなぜ戦争が行われたのかを知らず、その無知が今の日本を形成しており、敗戦をすんなり受け入れた層がそのまま現在のリベラルな思想を支持しているものと私は考えている。つまり、思想面における(理論)武装が完全ではなかったのである。
 また、日本で反米の集団というと、専らアカい人たちのことを指すと思うが、この人たちとの違いをはっきり明確に示すことができねばなるまい。そのためには、日本の旧来の立場からものを申していく姿勢が最も大事なのではないかと私は考える。
 たとえばTPP問題では、在日米軍撤退をちらつかせて交渉に臨んだアメリカであるから、自国の経済が苦しくなれば自然に撤退するとも考えられるし、日本で国防の機運が高まれば、軍事費の増大とともに、米軍は必要なくなってくる。ただ、日本は周りをアカい国々に囲まれてるので、アメリカとの同盟関係を維持すべきではなかろうかとも考えられる。ここで注意したいのは、上述のようにアメリカと日本は根本にある思想が異なり、互いに相手を思いやるということが不可能であるがゆえに、これからは利用し、あるいは利用されるだけの関係に終始すべきである、ということである。決して、アメリカは戦後日本の生みの親であり、母親であるから、日米は親子のようなものだ、というような関係性であってはならない。(対等な関係を望むか、主従関係を望むか)
 つまり、日本がとるべき道は、アメリカの社会のあり方を否定し、中国、朝鮮、ロシアなどとアメリカを対峙させておく方針をとることである。場合によってはアメリカと日本は共闘することもあるかもしれない。そのためには、アメリカ自身の偽善につけこみ、日本が有利になるように物事を進めていくことが必要だと思われる。

posted by シンジ at 20:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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