2015年01月04日

左翼、リベラルはなぜ破壊行為を好むのか


 左翼は革命という言葉が好きだ。そして、権威という言葉が嫌いだ。革命という言葉には、ある日突然、周りの状況がすっきりよくなって、自分の今の苦しみから解放されて、自由に、そして、幸せに生きていけるのだというニュアンスが含まれているし、権威という言葉には、束縛、圧政、上から押さえつけられた、といったイメージがつきまとう。しかし、実際のところ、革命が起きてみても、状況がよくなるとは限らないし、権威を持っている人が、自由にその力を、思い通りに振りまわせるかというと、そうとも限らない。
 どこかに自分を解放してくれる、ファンタジックワンダーランドがあると信じている人たちが左翼なのである。
 右翼の人は戦争をしたがっていて、戦争をするな、と言われることがあるが、そういう人はたいてい、第二次世界大戦で多くの人が犠牲になったから、もう犠牲者を出したくない、という気持ちでいっぱいなのである。そういう人は現実に目の前にある課題を直視しようとはしない。中国漁船の問題や、尖閣諸島、千島列島の安全保障問題、さらには、秘密情報の保護等といった問題には目暗になってしまっていて、現在の日本を守りたい、とは一切考えていない。最悪の場合を想定した危機管理をしようともせず、ただ、戦争ではみんながつらい目にあうから、それだけは避けたい、という思いしか持ち合わせておらず、ただただ、反対の声をあげるだけである。反対の声しかあげない人は、もしその反対の声がすんなり通ってしまったとしたら、その後何が起こるのかをまったく考えないで、反対の声をあげる。つまり、自分の行動が後にどのような結果を導いてしまうのかすら、想像することがないのである。これは無責任というか、言ったもの勝ちという事でひとまず満足げに家に帰って行ってしまって、その後は何もせずにこたつの中でごろんと横になっている、というような有様なのである。
 このように、左翼の破壊行為というものは、その場限りの、鬱憤晴らしなのであり、何の進展もないまま終ってしまうものなのである。


posted by シンジ at 16:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月16日

日本の左派

 社民党・共産党・公明党などの左派は、なぜ一つにまとまれないのか。政治的なイデオロギーが近いにも関わらず一つにまとまれないのは、結局、彼らが得意とすることが、外国とパイプを作る、という一点に限られているからではないだろうか。民主党が政権をとったとき、野田氏はあっさり政権を明け渡した。あの出来事によって、自分たちの限界を世間に示してしまった。というのも、日本の左派というのは、歴史認識だけを用いて日本を抑えつけようという装置でしかなく、国内問題を解決する、または日本人の立場になって政治運営をする、という視点がまるきり抜けてしまっているのだ。左派というのはユダヤが作り出した、子どもじみた幻想に端を発しているために、その思想が一国を支えることは、荷が重いのであろう。

 繰り返しになるが、日本の左派は、なぜ一つにまとまれないのか。彼らは日本について偏った見方をしており、それは歴史認識やメディアの報道姿勢にあらわれている。今回の朝日新聞の誤報問題にしても、その偏った見方からついには嘘をついてしまうまでにいたった。嘘の上に立って、表面的に聞こえのいいことを言って、日本国民を貶めていく。そういう集団は結局、お互いに疑心暗鬼になり、大きな組織にはなり得ないということではないだろうか。左派というのは、公共心のない、ただお金のためだけに動く、その場しのぎの生き方しかできない、戦略のない集団なのである。

 ここで、日本の左派に対して提案をしたい。日本の左派は、嘘や捏造をがんばって支えるのはもうやめて、反米姿勢を鮮明に打ち出すべきだ。もう法案が通過してしまった集団的自衛権の議論をもう一度やろうとするのではなく、日本に駐留する米軍を撤退に追い込む努力をし、自分たちがメディアを使って政治的なメッセージを送る努力をする。例えば、日本の政治にアメリカが深く関与していることも大きく取り上げ、これを公然と批難するとともに、中国やロシアなどの国を自分のよりどころとするのではなく、自分たちの正しいと思う道をはっきりと示すべきだ。このままだと、単に批難はするが、行動力はなく、それでもって一つの勢力にまとまることもできない、与党のまわりに集まる野次馬にしかなれない。

 話は変わり、外務省の役人の話を引用したい。
 先進国の大使は役人だが、旧社会主義国や発展途上国の多くの大使はまったく違う論理で生きている。彼らにとっては、大使のポストはあらゆるコネを動員して苦心の末に手に入れたもので、生活の権威とすべてを左右するものなのだ。こうした連中は、西側の大使が交代する時にも、その政治的な背景をあれこれと分析し、とんでもない結論を出したりする。
 だが、国の評判が形成されるのも、こうした人たちが主流となっている面がある。日本がいわれのない批判を受ければ間髪を入れずに説明しておくことが必要だが、そういった者の中には自分と違う意見をはなから受け付けない者も多い。そうした者が多いと見て取ったら、それに敢えて抵抗するのは逆効果で、むしろそうした連中と親しく付き合い、心象を良くしておくことが一番効果的なのだ。
                                  「外交官の仕事」河東哲夫
 この文で気になるのは、相手が特に仲良くしようとしていない時に、その相手と、自ら仲良くしようとする必要性があるのか、という点である。自分の国を良く見せようとしすぎて、逆に日本は嫌われているのではないだろうか。また、重要な国でない場合は、その国に就く役人もエリートである必要はなく、その国に通じていて、仕事もそつなくこなせる人であれば、他の人がやってもいいのではないかと思えてしまう。日本に来ているアメリカの大使をみても、そのことはよくわかるかと思う。まとめると、日本はこれ以上、外国に対していい顔をしなくてもよく、アメリカに対しても、適当にあしらっておけばよいのである。クールジャパンだとか、和の心を大事にだとか、いちいちこちらから発信する必要はない。和の心なんて、大陸の人間にはまず理解されないだろうし、言っても無駄である。

posted by シンジ at 23:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月13日

犠牲者のいる社会

 社会においては、誰かが犠牲になる必要がある。津波に襲われて、原発の風評被害を受けている人がいる一方で、原発があったおかげで、日本の大量にかかる電力を、安い料金で供給できていた。原発を停止したのは、現地住民が被害者であると政府が認定し、犠牲者とはみなさなかったからだ。私がここで言いたいのは、社会を成立させるためには、その代償を支払わなければならないということだ。つまり、全員が社会の恩恵に預かれるわけではなく、一部の人は我慢を強いられ、犠牲となる人が必ず生まれるのである。

 古い言い伝えによると、日本においても、生贄をして災厄を鎮め、人柱をたてて村を自然災害などから守るというような習わしがあったようだ。これについて私は合理的な理由があると考える。つまり、尊い命を犠牲にしたことで、犠牲となった人の命を無駄にはしたくないといった考えが人々の間で働き、その集団が強く生きようとするのである。反対に、みなが犠牲者を出さないように生きていけばよいという社会においては、かえって多くの人が強く生きることをやめてしまい、社会がたちまち立ち行かなくなってしまうのではないだろうか。人は、犠牲の上において初めて成り立つものなのである。だからこそ、常日頃から、自分のまわりで起こった犠牲を忘れることなく、強い心でしっかりと受け止めて生きていくべきなのであり、そのことが社会で求められていることではないだろうか。

 話をかえて、北朝鮮の拉致問題である。なぜか日本は北朝鮮と交渉し、無意味な調査機関と北朝鮮への制裁解除を取り付けたのであるが、本来、拉致された人々は、もう死んでいると思って話を進めるべきであり、そのような人たちを二度と生み出さないためにも、国内での入管法の見直し、スパイ防止法による徹底した法整備をまずは行う必要があるのではなかろうか。確かに、感情的に言って、被害に遭われた方々には同情の余地があり、拉致された人を返してほしいのは、すべての日本人が思うところである。しかし、そのことと、わざわざ外交的敗北を喫してまで、北朝鮮をさらに冗長させる意味はどこにあるのだろうか。

 話はもどり、現代社会において、犠牲になるとは一体どういうことなのか。犠牲を無意味にさせないためには、いったいどうすればよいのか。戦争をしていないのに、国内で自殺する人が二万人を超えるということに対して、生きている人はそこからどのような意味を見出し、どのような行動を起こしていくべきなのだろうか。第二次世界大戦では二百万人の犠牲者が出たが、それに比べると二万人は少ないから大丈夫だという受け止め方が日本国内で広がっているのだろうか。自分の感情的には、彼らのことを、意味のある犠牲者であると思いたいが、実際には単なる無駄死になっていないだろうか。
posted by シンジ at 22:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。